お墓の豆知識
瞑想とは
一般的に、目を閉じて足を組んで座り心を落ち着かせた状態の行為を瞑想というそうですが、仏教では、心を整え、見つめ直し、気付きを得ることのようで、それを総称すると【心を育てる】ことのようです。
基本修行の一つで、特定の対象を定めてそこに精神を集中し、心の動きを静めることを繰り返し行うことで、深い集中力を身につける事ができ三昧[さんまい:調和・統合・専心]と言われる状態になります。
基の仏教の瞑想は、定(じょう)と念(ねん)の二つから構成されているそうで、天台宗に伝わる「止観(しかん)…(妄念を)止めて観る(観察する)」が定と念にあたるそうです。
「定(止)」はひとつのものに集中するという意味で伝わっています。観想念仏(かんそうねんぶつ)や阿字観(あじかん)は、止のサマタ瞑想になるそうで、お釈迦さまが最初に行った修行ともいわれ、日本の座禅やヨーガもサマタ瞑想にあたるそうです。 宗旨・宗派によって違いがあるかもしれませんが、「止」の瞑想で知られているのが、安般念(あんぱんねん)だそうです。
「念(観)」は『観る・気付く』だそうです。呼吸すること(吸って吐くこと)に意識をおいて、同時に周囲で起こっていることに気付き、様々な煩悩をなくしていくという瞑想法のようです。 「止」と同じで宗旨・宗派によって違いがあるかもしれませんが、「観」の方法は、『数を数える・何も考えず集中する・呼吸に集中・ローソクの炎を見つめたりする』ということのようです。
この頃の修行方法は苦行がほとんどだったそうで、これで悟りが得られると思う修行者もいたそうですが、お釈迦様は、これでは悟りは得られないという結論に至ったそうです。
在家の信者の方は、時間を瞑想に費やすと言うことは、経済的にも相当な出費となるために困難な場合が多かったそうで、長い時間出来なくとも、一日一時間や数十分空いた時間で行っていたそうです。この積み重ねが実を結びますが、それで満足してはならなかったようです。
現在の人に限りませんが、どんなことを行うにしても出来る限り小さな努力と時間で大きな結果を求めますが、どのぐらいやればいいということは、人によって個人差もあり簡単に言えるものではないですが、自分が求めるものにふさわしいだけの犠牲は、相当な時間と労力をかけなければ得られるモノはないといえるそうです。