お墓参りを通じて感じたこと -供養する心-
昨今『お墓は不要なものでは?』と言われ始め、メディアなどにも取り上げなれるようになり、更に『終活』という活動で、我々石屋が取り組んでいる『ご先祖様を大切する』という気持ちがうまく伝わっていないことから、この先のお墓というものの考え方が変わってきています。
なぜ【お墓参りは行うものなのか?】ということを考えるようになりました。皆さんは『お墓参りをする際に何を思って手を合わせていますか?』 そもそも『お参りの際にどうして手を合わせるのでしょうか?』
感謝・相談・報告・お願いごと(祈願)・その他様々あると思います。
私はお参りをする際に、感謝・報告・決意・お願い事などを伝えております
私がご先祖様のことを知るきっかけになった事は…法名碑(墓誌)の拭き掃除をしていた時に、なんとなく両親に質問したことが、自分のご先祖様(両親の実家)を知ることのキッカケになりました。
- 自分のご先祖様の事をどのぐらい知っていますか?
- 何世代前までさかのぼることが出来ますか?
- 両親や祖父母にご先祖様のことを聞いたことはありますか?
私には、曾祖父の記憶があり、5歳の時に亡くなるまでの記憶が今も残っています。父に訪ねると父にあたる曾祖父(私の4代前になります。)はもちろん石屋をしていたそうですが、父が生まれる前に亡くなっておりました。
曾祖母は生きていたそうで、小学校5年生までの記憶があるそうです。母方の曾祖父は軍人さんで残念ながら戦死したそうです。幼い時に見せて頂いた写真が馬に乗って軍服を纏い大変立派な方だったと聞いています。曾祖母の記憶があり、母の父(私の祖父)が自衛隊に勤務しており、転勤の多い事から気遣いを絶やさなかったようです。
この話を通して、私のご先祖のルーツをたどり、家族構成や生活環境などを知り、両親の生い立ちを聞く事で、現在の私たちの生活が成り立っているのだと実感し、家族の絆を再確認することが出来ました。父の母方の実家や母の母方の実家などの話を聞き、『今後、両親に何が出来るのか』、自分なりに考え、妻に相談し、私の姉や弟とも話し合う事が出来ました。皆それぞれが、感謝の気持ちを述べ、これからどのようにしていくのかということを確認し合う事も出来ました。
これもご先祖様があって、そのルーツを聞く事がきっかけとなり、私の両親・姉・弟と話し合うことが出来ました。各家庭のご事情で難しい事もあると思います。友達、同僚や友人との今後も大切ですが、やはり、家族がもっとも大切だと感じます。
主な工事事例
お墓のおかだでは、竿石と上台の工事(穴を空けてピンを入れる工事)を43,200円(税込)でしております。
※詳しくはお問い合わせ下さい
震災後、多くの墓石を修理させていただきましたが、金銭的に困難な状況である方が多数いらっしゃったため、この方針を決意した経緯があります。
わずかばかりではございますが、大切なお墓を守るお手伝いをさせていただければ幸いです。
お墓参りも時代と共に変化しています
本来は、ご先祖様を供養し感謝の思いを伝える事であり、お願いごとなどは望ましくないようですが、時代と共にお参りの仕方も変わってきているのも、お参りを伝えるということが薄れてきているのも原因のようです。
私も感じておりますが、そもそもお墓参りはそれぞれ個人が、思った時や行きたい時に足を運ぶのが自然で、『お参りをして手を合わせる』。その姿勢(動作)を子供や孫と共に行うことで、自然と手を合わせるようになり、お参りという文化が子孫に伝わって行くのではないでしょうか。
そして、それぞれの思いをご先祖様に語る事で絆が深まるはずです。
手を合わせて目をつぶるという作法を我々が今後どんな事を思い、子・孫に伝えて行きますか?
お墓の前で手を合わせる事は、誰が伝えることが望ましいのでしょうか?
私は祖父母・両親から教わってきたように、子供たちと一緒にお参りに行き、ご先祖様にこれまでの感謝と子供たちの成長を見守って頂ければと思っています。そして、子供たちにもお墓参りをすることの大切さを一緒に手を合わせることで次の代に伝えて行きます。
また、これを通じて参りに対する気持ちにも変化がありました。子供が幼稚園に入園するので、帰りにお墓に立ち寄り、掃除やお焼香は焚かず、その報告に手だけを合わせに行ってきました。いつもは水桶やひしゃく、線香に茶・水、ゴミ袋などを持ち両手がふさがっています。子供と遊びながら帰るという事は考えも出来ませんでしたが、今回は、何も持っていなかったので、子供たちと影ふみをしながら、楽しく帰ることが出来ました。以前では、全く考えられませんでしたが、お墓参りも、工夫次第で子供との触れ合いの場になるのではないかと感じました。私にとって新たな発見でした。
この文章を最後まで閲覧して頂き 誠にありがとうございます。皆さんがどう感じ、これからどのように、家族というものと向き合って行かれますか?
私は、お墓という仕事を通じで、今後もお墓参りの大切さ、お墓に手を合わせると言う事を発信していきます。
【さあお墓参りに行こう!】
お客様がお墓参りを通じて感じたこと
お客様より、実際にお墓参りをされて感じたことを文章でいただきましたので、ここでご紹介します。
この想いがこもったお墓に父が眠っております(黒木様)
私の年齢は27歳です。まだお墓を建てるには早い年齢だと思います。
お墓の広告などは見たことはありましたが、実際お墓を建てるのに、どのような手順で進めたらいいのか分かりませんでした。親しい方とお寺に行きご住職に相談して、お墓屋さんを決めました。そのお墓屋さんは家族経営の温かみのあるお店でした。社長の年齢が近い事もあって、とても話し易くお墓を建てるにあたっての進め方を丁寧に教えてくれました。
始めの頃は、私一人で打合せに行っておりましたが、最終の時に母も連れて行きました。父を失ったばかりで気持ちに余裕がない母を連れて行くことに少しためらいもありました。ですが、その母がお墓の石に『こころ花』を彫刻してほしいと社長に相談しました。
こころ花とは、タイツリソウとも言い、父が植えていった最後の花で、社長はすぐに調べてくれて、後日、下書きのデザインを作成して頂き工場に見に行きました。そのデザインは見事にこころ花を再現していて理想に近いものでした。お墓も完成し、納骨の時に家族の安堵した顔をみて私は安心しました。この想いがこもったお墓に父が眠っております。
私自身も足を運び、お参りすることで心が安らぎ安心します。
墓参りは年に数回行っております(小川様)
墓参りは年に数回行っております。
昨年、墓の場所を変え、墓石を新しくしたことにより墓参りの回数も増えました。墓参りは先祖や故人を偲ぶ大事なものであり、先祖に感謝し今の自分や家族・親族の状況や元気でいることを心の中で報告することでもあると思います。
普段から先祖に対しては感謝をしていますが、墓参りに行くと元気なころの先祖の姿がしみじみと想い出されます。新しく綺麗な墓石の中で先祖も気持ちよく眠っていると思います。平成26年9月に長泉寺の東墓地に墓石を設置して頂きました。墓参をしてくれた親族や友人より、墓石の出来栄えの良さ等大変好評でした。
以前の墓は山の中腹にあり、特に高齢者には坂がきつかったですし、また、周囲には大木が生い茂り節の墓掃除が大変でした。ごみの量はLサイズの袋で少ないときに8袋、多いときに16袋も出ました。新しい墓石は掃除が大変楽にできます。新しい墓石は家族や親族も満足しています。
施工していただいた岡田石材工業さんに感謝申し上げます。
お手紙でもいただいております(渡辺様)
お手紙でもいただいております(佐藤様)
お手紙でもいただいております(伊藤様)
供養する心とは
供養にも、追善(ついぜん)・施餓鬼(せがき)・開眼(かいげん)などの供養の他に、動物や人形などに対する様々な供養があります。
供養することとは、『心から亡くなられた故人をいたわる』… 相手に対する尊敬の念から亡くなった故人に対して、茶・水・花などの供物をお供えし、経や線香をあげて手を合わせてお祈りし感謝の気持ちを表すことが一般的のようですが、なぜそうしたことをおこなうのでしょうか!? また、供養の仕方に決まりはあるのでしょうか…?
仏様の教えでは、亡くなった後は功徳(くどく)しか持って行けないそうで、【功徳】良い行いを積み重ね【回向(えこう)】その功徳を自分のためだけではなく、他のすべての人々のことを思っておこなうそうです。
亡くなられた方を見送るまでに、お葬式を行い、仏壇に本位牌をお祀りし、お墓に戒名(法名など)を彫刻して魂を宿します(仏壇やお墓がない場合には必要に応じて購入しなくてはなりません)。
お葬式などのお別れの儀式は行えばいい…。仏壇・お墓は買いさえすればいい…。
心が届かなければ飾り物と同じではないでしょうか。
私たちにとってかけがえのない人を亡くしてしまってから、気づかされることや生前にしてあげたかったことなど思い浮かぶことはありますか。
亡くなった方々を供養することとは
死に対しての考え方も変わってきているそうですが、 人が亡くなると『無』になってしまうのでしょうか?それとも、魂は生き続けるのでしょうか?
仕事などの理由で両親や家族と離れて暮らしている家庭も増えたことから、こういったことを考えることが少なくなっているのではないでしょうか?
生きている人に対して、何かをしてあげたいと思うのは自然のことですが、亡くなられた故人に対して、「何かをしてあげたい、こうしたら喜ぶ」と思うことはありますか?
私の父方の祖父(五代目)は生前きれい好きで、お風呂に入ることや髭をそることを欠かしませんでした。ですから、私たち家族はほぼ毎月お墓の掃除を行います。
供養する心を考えていくうちに感じたことがあります
家族・親戚へ生前にお世話になったことへの気持ちとして、大好きだった食べ物など心を込めて作りお供えすることも大切な供養ではないのかと思うようになりました!
私の父方の祖父は味噌を付けたご飯や味噌おむすびが好きでした。 私の母方の祖父はたまご料理が大好物だったそうです。
母方の祖母は母が十九歳の時に病気で亡くなり、写真でしか見たことがありませんが、たらこが大好物だったそうです。
次のお墓参りは、大好物をお供えします
供養を続けるということは、“心の中”で、魂が生き続け、生前と同じように振る舞い心で語ることが大切ではないかと私は思います。そう思い続けることで供養するという気持ちが無くならないはずです。
ご先祖様・ご家族の「お墓参りをし供養をして下さい!」と私たちはごく一般的にいいますが、言葉だけではなくお墓という仕事に携わっていくうえで実際に行い、自分の感じていることを伝えていきたいです。
私は、今後も供養を心から捧げることの大切さを、お墓参りを通じて家族と共有し、娘たちに語り続けていきます。