寺院紹介
瑞珠山 延命寺えんめいじ(白石市)
天正年中(1572~191)中道坊卓彦俊雄法印が、往古潮石寺と称した跡に一寺を建立。瑞珠山中道坊延命寺と称し、京都から奉持の延命地蔵尊を本尊仏として安置されました。爾来四百余年真言宗の法灯を守り今日に至っています。本尊仏は江戸時代中期に大日如来とし延命地蔵尊は脇仏として安置されています。
【大聖歓喜天祭典(おしょうでんさん)】
毎年7月15日前夜祭(宵祭り)、翌16日当日祭(本祭り)が行われます。曜日に関係なくこの日付で行われます。この時期はちょうど梅雨の最中で雨天の時も多いのですが、拘わらず行われます。15日の宵祭りは白石の夏祭りの口開けとして、また山門前には露天が建ち並び大勢の人出で賑わいます。大護摩祈祷に続いて民謡や演歌、演奏など演芸の奉納もあり人気を呼んでいます。
【不澄ヶ池(すまずがいけ)伝説】
源義経主従奥州下向の節、武蔵坊弁慶が、当寺境内西北隅にある池で、錆びた薙刀(なぎなた)を研いて以来、池の水が赤褐色に濁り澄むことが無くなった事から、『不澄ヶ池』と呼ばれ、後に地名に成ったと言われております。現在、池は水位の低下により空池であり、更に近年国道拡張工事のため小さくなりましたが、史跡として保存されております。
真言宗 智山派 延命寺(白石市) | |
---|---|
所在地 | 〒989-0271
宮城県白石市不澄ケ池68 |
電話 | 0224-26-3216 |
アクセス | 白石駅より徒歩約8分 |
山門は旧白石城厩口門で三間一戸、二階建瓦葺。二階に幅の広い格子を設け、その両側ばかりか階下にも狭間(ざま)を設置し、北側から迫る敵に対して、坂口門と共に本丸を守るうえでの重要な防衛拠点の一つとして、厳重に防備を固めていた様子がうかがえます。大手門の役割を果たしていたと伝えられています。明治維新後、市内「延命寺 (えんめいじ)」山門として移築されました。
修行僧安珍については、各地に種々の伝承が残っています。伊具郡尾山村(現在の角田市尾山)東光院の寺伝によると、東光院第三世安珍が二十七歳の折、紀州熊野山への修行行脚の途中、紀州真砂庄司(しょうじ)の佐夜姫(清姫)に恋慕されるが、修行のためとそれを拒みました。佐夜姫は安珍恋しさのあまり、日高川に身を投じ、その霊魂が妖怪となり、後々までもたたりをなしたという(伊具郡尾山風土記書上)
歌舞伎「道成寺物語」では、安珍が道成寺の釣鐘に身を隠すが、大蛇と化した清姫に鐘もろとも巻き付かれ、その煩悩の火によって焼死したという。一説によると安珍は白石生まれと伝えられ、その悲報を伝え聞き、供養のために造立したのがこの地蔵尊といわれ、いつのころからか「ころり地蔵尊」と呼ばれ参脂されるようになったという。
延命寺合同納骨供養堂安心廟は、延命地蔵菩薩を御本尊とした納骨堂であり、現在または将来、墓所ならびに遺骨を直接供養管理すべき後継者が皆無で、あるいは供養管理の後継の義務を放棄した遺骨、併せて安心廟にての納骨合祀を希望した遺骨を、永代に合同供養することを目的としております。
延命寺檀信徒会館『発心堂』。『発心』とは、菩提心を起こす事の意で、菩提心とは、仏の心悟りそのものの意です。
お大師様は『我々凡夫の心にもともと平等に光輝く仏の心がある。煩悩がその心を覆い隠している。その心を信じて正しい生活を送る事により、その光り輝く菩提心が顕れて来る』と教えています。『発心堂』は延命寺の一番新しい建物で椅子に座る事を基本として設計しました。使用形態は現代化しても、その元は変化しないものとの意も含んで心の奥底の菩提心をかみしめて頂ければとの願いを込めて会館の名称と致しました。