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寺院紹介

松龍山 専福寺せんぷくじ(角田市)

松龍山 専福寺(角田市)

時宗開祖一遍上人により今日の小田の地に開山されました。その年次について寺伝は鎌倉時代の建治三年(一二七七年)または弘安元年(一二七八年)と伝えておりますが、国宝一遍上人絵伝によれば、同上人は、弘安三年から四年にかけて奥州を遊行しており、当寺はその途上に開山されたと考えられます。

初期の専福寺は、墓地を持つ檀家寺ではなく、民衆が寄り添い念仏するための道場としての役割を担っておりました。その後、永禄十年(一五六七年)、当山二十一世了岳和尚の代に当時の領主、田手助三郎時実の命により、小田の地から角田本郷道場町(角田市立町)に移建する事となりました。

慶長三年(一五九八年)には伊達政宗家臣、石川昭光が本格的な角田の治水、町づくりを行う際、寺も町の中心に置かれて、徐々に民衆から親しまれる存在となった事を伝えられております。

江戸時代中期の専福寺は、間口八間、奥行六間、南向きの客殿には、阿弥陀・観音・勢至の三尊のほか、ご自作と伝えられる一遍上人像を祀っており、境内には観音堂と熊野社とを配置しておりました。後に文化十年(一八一三年)、文政十年(一八二七年)と二度にわたる火災にみまわれましたが、その都度立派に復興をなしとげ、檀信徒の方々のご先祖様に対する篤い愛寺心に支えられて隆盛の一途をたどる事が出来ました。

最盛期には、境内地と墓地を併せて一町四方の広さを誇り、内部には、本堂、庫裏、観音堂、熊野證誠殿、般若堂、表門、裏門が配置されていたと伝えられております。しかしながら、大正五年(一九一六年)角田の町を襲った未曾有の大火により、すべての堂宇は完全に消失し、現在の裏林上人壇に移住する事となりました。

その時代においても、第四十二世泰堂和尚のもと檀信徒、有縁の方々の心からのご支援とご庇護により、現本堂が昭和五十年(一九七五年)に落成され、現在に至っております。

時宗 専福寺(角田市)
所在地 〒981-1505
宮城県角田市角田字裏林43
電話 0224-62-2404
アクセス 角田駅より車で5分
地蔵尊

地蔵尊

名板碑

名板碑

中央上部に阿弥陀仏の種子を刻し、その四方に四佛の種子を配し、光明遍照偈と願意と紀年を刻した形式の完備したものでありますが、施主の名前は刻まれておりません。『右志者為先・亡藤原氏女・既以得道兼・法界衆生也』という文字があって、藤原氏の縁者で、その死んだ四女の菩堤を弔うために建立したようです。

この藤原氏は、恐らく平泉の藤原氏の一族ではないかと思われます。この碑は、峯薬師堂前の文永碑(文永十二年、一二七五年)と、形姿に共通したものがあって、爾余の自然石塔婆と趣を異にしているようです。

概要:高さ165cm 幅89cm 奥行18cm
石英粗面岩の表面を磨いたもの。

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