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お墓の豆知識

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寺子屋とは

住職・武士・神官・医者などが先生となり、読み方や書き方、そろばんなどを教えて、知識・技能を教育するための施設として、【手習所】や【手習塾】とも言われておりました。「寺子屋」の名称は主に、関西地域の京都・大坂・伊勢などで用いられていたそうで、関東では「手習指南所」「手跡指南」などと呼ばれ、明治以後、義務教育の普及によって無くなっていきました。

寺子屋

寺小屋の起源は、鎌倉初期頃に住職となる少年や武士の子供などに、簡単な文字の読み書きを教える教育を行っていたのが始まりで、室町中期になると、庶民の子ども達にも広がり、室町後期では、子供たちにとって必要な教育内容をいろいろ取り入れるようになりました。

小商品生産の台頭・発展によって、庶民大衆の日々の生活や生産活動に「文字」の果たす役割が重要となってきて文字学習の要望が高まったことで、庶民大衆自身が全国各地にひろく設立したのが寺子屋です。「寺子屋」は「寺子」と「屋」との合成語で、「屋」は寺子が通う家をあらわすそうで、『本屋・米屋』といった手習いを経営する家の事をいいました。

寺子屋への入学年齢や入学日、卒業日も特に決まっていなかったようで、通常2~3年は教育を受けていたようです。当時の寺子屋の先生は一生の師として慕われていたそうで、寺子屋の生徒を「筆子」と呼ばれて、師匠が死んだ時には筆子が費用を出し合って師匠の墓を建てる事が珍しくなかったそうです。そのような墓を『筆子塚』と呼ばれています。

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